ドヴォルジャーク
ボヘミア(当時のオーストリア帝国の一領土、現在のチェコ)で生まれました。父親の反対を押し切ってプラハに上京し、苦学をして音楽家をめざしました。小楽団のヴァイオリニストとして生計をたて、25歳の時プラハ国民劇場の仮劇場指揮者になり、スメタナの薫陶を受けました。36歳の時ブラームスに出会い、その紹介で管弦楽曲「スラヴ舞曲」第1集をベルリンで出版し、一躍名声を高めました。51歳の時、新しくできるニューヨーク国民音楽院の院長に就任するため、当時まだ「新大陸」「新世界」と言われていたアメリカに渡ります。アメリカでドボルジャークの創作力は爆発し、交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲 ロ短調、弦楽四重奏曲「アメリカ」など、代表作が次々生まれました。晩年はオペラなどに創作意欲を持ちましたが、「ルサルカ」以外は高い評価を得ることはできませんでした。しかし生涯にわたって多く創作された室内楽曲は名作の宝庫で、ブラームスの室内楽曲とならび評価されています。
ドヴォルジャークはスメタナを継ぐチェコ国民楽派の作曲家で、その音楽にはドイツ・ロマン派の諸様式と、チェコの民族音楽の高度な融合みられます。
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ドヴォルジャーク(1841~1904)
チェコの作曲家。民族舞曲やボヘミアの題材を取り入れたチェコ民族音楽の第一人者。代表作は交響曲「新世界より」、ピアノ三重奏曲「ドゥムキー」など。